国を捨てなければならないとき
2004年5月23日 読書
ISBN:4004203597 新書 後藤 政子 岩波書店 1986/12 ¥777
「予告された殺人の記録」で有名なG.ガルシア=マルケスの「戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険」を読んだ。
この本は、ピノチェト軍事政権誕生の機に亡命し、入国禁止リストに入っている(ようするに帰ってきたら捕まってしまう)映画監督ミゲル・リティンが、1985年はじめに、秘密裏に母国に潜入し、六週間にわたって軍政12年目のチリの現状を7000メートル以上のフィルムに収めた体験を、G.ガルシア=マルケスがリティン監督にインタビューし、それを独白調のルポとして再構成したもの。
簡潔かつ緊張感が漂う描写、魅力あふれるリティン氏の姿が生き生きと書かれていて、とても面白く読み進めることができた。
ちなみに、なんともいやな偶然なんだろうけど2001年9月11日の同時多発テロと、ピノチェトがクーデターを起こしたのは28年前の同じ日(1973年9月11日)ということ。
チリの人々は、あの崩れていくWTCを、空爆される大統領官邸として使われていたモネーダ宮殿の姿にかさねあわせたのではないだろうか。
チリの人々にとっても9/11は、行方不明になった家族・友人、命を落とした人々を追悼する日なんだそうだ。
自分の国から進んでではなく、やむを得ず亡命しなければならないというのは、辛いことだろう。
リティン氏は、チリに入国するために自分を別人に仕立てなければならなかった。入国には成功したものの、彼にとってそれは本当の“帰国”ではなかった。
「私は懐かしい人びとから顔をそらし、自分の国にありながら亡命しているというおかしな状況を受け入れざるを得なかった。もっともつらい亡命形態であった」
まあ、彼は滞在が進むにつれ、自分自身を取り戻そうという危険を冒すわけだが、わかるよな〜。
自分の国にいて、でも自分ではいられない。懐かしくてたまらない友人や祖国に対して、自分は傍観者でいなくてはならない。そんなの耐えられないものね。
だんだんと警察にマークされるようになり、脱出のために旅客機に乗り込む彼と彼の協力者。しばらく飛行していたのに、突如、チケット提示を乗客全員が求められる。
緊張感に耐え切れなくなりそうな彼だったが、あっさりと確認は終わる。
飛行機にひとり密航者がいたようだったのだ。
彼は笑いながら乾杯する。「ひとりじゃない!ふたりだ!」
カタルシスだよね〜。このセリフで終わらせるところが、作者の力量を感じさせる。
面白かったです。
撮影されたフィルムは、「ACTA GENERAL DE CHILE」(戒厳令下チリ潜入記)というタイトルのドキュメンタリー映画として上映されました(見たいな〜)。
この後ピノチェトは選挙で敗北し、チリは軍政から民政に移管を達成する。
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<チリの略史>
1818年 事実上の独立
1970年 アジェンデ社会主義政権誕生
1973年 クーデターによりピノチェト軍事政権誕生
1980年 新憲法草案に対する国民投票の実施
1981年 新憲法発効
1988年 ピノチェット大統領信任投票
1989年 大統領選挙、国会議員選挙
1990年 エイルウィン政権成立
1994年 フレイ政権成立
2000年 ラゴス政権成立
73年に発足したピノチェット軍事政権は、1988年10月の国民信任投票で敗北。89年末の選挙で反軍事政権諸党連合を母体にエイルウィン大統領が選出され民政移管が達成。以後フレイ大統領、ラゴス大統領と、3期連続して中道左派連合政権が継続。
2000年に発足したラゴス政権は、市場重視の経済政策、開かれた地域主義の外交等従来の基本政策を継続。当面の課題は高失業率(約9%)の解決、中期的には社会格差の是正、インフラ整備、軍政時代の負の遺産の処理(憲法改正等)。
全般に政治体制は安定。98年10月のピノテュット元大統領の英国での逮捕事件を契機に国内の左右両勢力の対立が一時顕在化。2000年3月の同氏の釈放・帰国により、チリでの裁判が開始されたが、同人の健康上の理由により、2002年7月、最終的に裁判は停止された。同月、ピノテュット元大統領は、終身上院議員を辞任し、政界から引退した。こうした動きを受け、また、軍事クーデター発生から30年が経過した2003年には、軍が過去への反省と政治への非介入の姿勢を明確にしたこともあり、国民和解の進展が見られる。
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「予告された殺人の記録」で有名なG.ガルシア=マルケスの「戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険」を読んだ。
この本は、ピノチェト軍事政権誕生の機に亡命し、入国禁止リストに入っている(ようするに帰ってきたら捕まってしまう)映画監督ミゲル・リティンが、1985年はじめに、秘密裏に母国に潜入し、六週間にわたって軍政12年目のチリの現状を7000メートル以上のフィルムに収めた体験を、G.ガルシア=マルケスがリティン監督にインタビューし、それを独白調のルポとして再構成したもの。
簡潔かつ緊張感が漂う描写、魅力あふれるリティン氏の姿が生き生きと書かれていて、とても面白く読み進めることができた。
ちなみに、なんともいやな偶然なんだろうけど2001年9月11日の同時多発テロと、ピノチェトがクーデターを起こしたのは28年前の同じ日(1973年9月11日)ということ。
チリの人々は、あの崩れていくWTCを、空爆される大統領官邸として使われていたモネーダ宮殿の姿にかさねあわせたのではないだろうか。
チリの人々にとっても9/11は、行方不明になった家族・友人、命を落とした人々を追悼する日なんだそうだ。
自分の国から進んでではなく、やむを得ず亡命しなければならないというのは、辛いことだろう。
リティン氏は、チリに入国するために自分を別人に仕立てなければならなかった。入国には成功したものの、彼にとってそれは本当の“帰国”ではなかった。
「私は懐かしい人びとから顔をそらし、自分の国にありながら亡命しているというおかしな状況を受け入れざるを得なかった。もっともつらい亡命形態であった」
まあ、彼は滞在が進むにつれ、自分自身を取り戻そうという危険を冒すわけだが、わかるよな〜。
自分の国にいて、でも自分ではいられない。懐かしくてたまらない友人や祖国に対して、自分は傍観者でいなくてはならない。そんなの耐えられないものね。
だんだんと警察にマークされるようになり、脱出のために旅客機に乗り込む彼と彼の協力者。しばらく飛行していたのに、突如、チケット提示を乗客全員が求められる。
緊張感に耐え切れなくなりそうな彼だったが、あっさりと確認は終わる。
飛行機にひとり密航者がいたようだったのだ。
彼は笑いながら乾杯する。「ひとりじゃない!ふたりだ!」
カタルシスだよね〜。このセリフで終わらせるところが、作者の力量を感じさせる。
面白かったです。
撮影されたフィルムは、「ACTA GENERAL DE CHILE」(戒厳令下チリ潜入記)というタイトルのドキュメンタリー映画として上映されました(見たいな〜)。
この後ピノチェトは選挙で敗北し、チリは軍政から民政に移管を達成する。
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<チリの略史>
1818年 事実上の独立
1970年 アジェンデ社会主義政権誕生
1973年 クーデターによりピノチェト軍事政権誕生
1980年 新憲法草案に対する国民投票の実施
1981年 新憲法発効
1988年 ピノチェット大統領信任投票
1989年 大統領選挙、国会議員選挙
1990年 エイルウィン政権成立
1994年 フレイ政権成立
2000年 ラゴス政権成立
73年に発足したピノチェット軍事政権は、1988年10月の国民信任投票で敗北。89年末の選挙で反軍事政権諸党連合を母体にエイルウィン大統領が選出され民政移管が達成。以後フレイ大統領、ラゴス大統領と、3期連続して中道左派連合政権が継続。
2000年に発足したラゴス政権は、市場重視の経済政策、開かれた地域主義の外交等従来の基本政策を継続。当面の課題は高失業率(約9%)の解決、中期的には社会格差の是正、インフラ整備、軍政時代の負の遺産の処理(憲法改正等)。
全般に政治体制は安定。98年10月のピノテュット元大統領の英国での逮捕事件を契機に国内の左右両勢力の対立が一時顕在化。2000年3月の同氏の釈放・帰国により、チリでの裁判が開始されたが、同人の健康上の理由により、2002年7月、最終的に裁判は停止された。同月、ピノテュット元大統領は、終身上院議員を辞任し、政界から引退した。こうした動きを受け、また、軍事クーデター発生から30年が経過した2003年には、軍が過去への反省と政治への非介入の姿勢を明確にしたこともあり、国民和解の進展が見られる。
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