夏が終わりますな・・・
2005年9月18日 読書
ISBN:4061820001 単行本(ソフトカバー) 森 博嗣 講談社 1998/01 ¥819
今日は最近読んでてがつーんとやられた本の一節について。
焼けて収縮しかけた精神に
まだ消えないオアシスの祈りを
少しだけ漂いみせて
(「夏のレプリカ」より/森博嗣)
1998年リリースのS&Mシリーズの第7作。前作『幻惑の死と使途』と同時期に起こった事件として本作は偶数章しかないという設定。
初期の頃から森作品の中心テーマは狂気だったが、これはかなりの凄みを見せていると思う。
まあ、話自体はミステリーなのでネタばれになるからおいといて。
で、この一節、すいません、かなりキました。
夏というのは不思議な季節だといつも思う。
ギラギラとした太陽の下では、“生きている”ということをものすごく意識するのだけれど、一方では弱ったものには耐えられない季節でもある。
はっきりいって“夏”という季節はきらいだ。
生と死の両極端のギラギラとした空気をまとった季節だと思うから。
どちらかというと淡白なワタクシには、非常にキツイ季節。
ただ、上の一節のように、焼けて収縮してしまうほどに何かにかけてみたり、狂えてみたりできる人をちょっぴり羨ましく思うのも事実。
そんなあらゆる意味でアツイ夏が終わろうとしてますね・・・。
どうして夏という季節は、しみじみと終わりを惜しんでしまうのか。
何かが終わったような気持ちになるんだろうか。
と、この夏、何もなかったワタクシが言ってみたりして。しくしく。
今日は最近読んでてがつーんとやられた本の一節について。
焼けて収縮しかけた精神に
まだ消えないオアシスの祈りを
少しだけ漂いみせて
(「夏のレプリカ」より/森博嗣)
1998年リリースのS&Mシリーズの第7作。前作『幻惑の死と使途』と同時期に起こった事件として本作は偶数章しかないという設定。
初期の頃から森作品の中心テーマは狂気だったが、これはかなりの凄みを見せていると思う。
まあ、話自体はミステリーなのでネタばれになるからおいといて。
で、この一節、すいません、かなりキました。
夏というのは不思議な季節だといつも思う。
ギラギラとした太陽の下では、“生きている”ということをものすごく意識するのだけれど、一方では弱ったものには耐えられない季節でもある。
はっきりいって“夏”という季節はきらいだ。
生と死の両極端のギラギラとした空気をまとった季節だと思うから。
どちらかというと淡白なワタクシには、非常にキツイ季節。
ただ、上の一節のように、焼けて収縮してしまうほどに何かにかけてみたり、狂えてみたりできる人をちょっぴり羨ましく思うのも事実。
そんなあらゆる意味でアツイ夏が終わろうとしてますね・・・。
どうして夏という季節は、しみじみと終わりを惜しんでしまうのか。
何かが終わったような気持ちになるんだろうか。
と、この夏、何もなかったワタクシが言ってみたりして。しくしく。
お酒と錬金術(高尚なことをいいつつぶっちゃけ飲むわけですわ)
2005年7月13日 読書
ISBN:4150410313 文庫 平井 吉夫 早川書房 2003/02 ¥840
昨日は隣のものごっつい忙しそうにしているチームを横目にさっさと帰る(ホントすまぬ。何も手伝えない私を許して)。
で、ラストが気になっていた「イエスのビデオ(上・下)」(アンドレアス エシュバッハ著)を読む。
ラスト近くなってきたので、乗り換え駅のカフェにて最後まで読破。
主人公のあっけないくらいの変節には、そんな簡単なのかよーと思いつつ、まあまあ満足。
宗教に関しては、土台がないのでどうこう言える立場ではないのだけど、作者のキリスト教感にはちと魅かれるものあり。
キリスト本人とキリスト教の断絶(神とあがめられることによって、彼の言葉はどんどん変節しているのではないか?という疑問)。
この最後に突きつけられるテーマには、答えなどないのだけど、非常に考えさせられる。
主人公の変節もまあこのあたりにあって、やっぱり熱心なキリスト教信者でなくても、生活の一部にキリスト教があるキリスト教文化圏の人ならば、衝撃的なビデオなんだろうな、と予想。
私がそのビデオを見たらどう思うかな、なんて考えてみたり。
読後感にひたりつつ、Bar Dioへレッツゴー。
いつもの通り気持ちよくお酒をいただき、お話して楽しく帰路についたワタクシなんですが、そういやキリスト教とお酒ってどんなかかわりがあるのかな、という単純な疑問でちょっと調べてみたりして。
ワインは紀元前からあるお酒で、キリスト教でも神の血として洗礼などで使われるけど、んじゃワタクシの大好きな蒸留酒はどういう歴史があるのかしらん。
とのこと。錬金術!
なかなか凄い話だな〜。
アルコールに禁忌のないキリスト教圏に伝わらなかったら、蒸留酒はこんなに発達しなかったかもしれない。
素晴らしいビバ、錬金術!
しかし、面白いね〜。実験だもん。
と高尚な(?)話で煙に巻き、日々飲む言い訳とするワタクシであった。
だって、生命の水じゃん(笑)。飲まなきゃだめじゃん、なんちて(笑)。
昨日は隣のものごっつい忙しそうにしているチームを横目にさっさと帰る(ホントすまぬ。何も手伝えない私を許して)。
で、ラストが気になっていた「イエスのビデオ(上・下)」(アンドレアス エシュバッハ著)を読む。
ラスト近くなってきたので、乗り換え駅のカフェにて最後まで読破。
主人公のあっけないくらいの変節には、そんな簡単なのかよーと思いつつ、まあまあ満足。
宗教に関しては、土台がないのでどうこう言える立場ではないのだけど、作者のキリスト教感にはちと魅かれるものあり。
キリスト本人とキリスト教の断絶(神とあがめられることによって、彼の言葉はどんどん変節しているのではないか?という疑問)。
この最後に突きつけられるテーマには、答えなどないのだけど、非常に考えさせられる。
主人公の変節もまあこのあたりにあって、やっぱり熱心なキリスト教信者でなくても、生活の一部にキリスト教があるキリスト教文化圏の人ならば、衝撃的なビデオなんだろうな、と予想。
私がそのビデオを見たらどう思うかな、なんて考えてみたり。
読後感にひたりつつ、Bar Dioへレッツゴー。
いつもの通り気持ちよくお酒をいただき、お話して楽しく帰路についたワタクシなんですが、そういやキリスト教とお酒ってどんなかかわりがあるのかな、という単純な疑問でちょっと調べてみたりして。
ワインは紀元前からあるお酒で、キリスト教でも神の血として洗礼などで使われるけど、んじゃワタクシの大好きな蒸留酒はどういう歴史があるのかしらん。
錬金術を背景として、9〜12世紀頃、医学や科学をリードしていたのはアラビア人だった。彼らは、薔薇水や薬品の蒸留に使われていた初期の蒸留器を、ケロタキスまたはアランビクと呼んでいた。彼らはそれを改良しながら大規模な蒸留器を作っていくことになるが、それは決してアルコール濃度の高い酒を造ることではなく、アラビア社会での人と人との交わる社交社会の重要性にともない需要が増えた香料を増産することであった。ところで、イスラム圏は酒を禁じる厳しいコーランがあります。もし、コーランで酒を禁じていなければ、アラビアの科学者は酒を造っていたかも知れない。その後、十字軍の遠征などで、酒の蒸留はキリスト教圏に発生する。その中世時代、最初のリキュールがフランスの僧院で造られたのが、ベネディクティンであった。しかし、そのアラビアの技術が最初に伝わったのはスペインで、そこで生まれたのがアルコール強化ワインの一種であるシェリーであった。ワインはすでに紀元前数千年も前から醸されていた酒であったが、アラビアの蒸留技術をワインに応用し、アルコール(ブランデー)を得たのである。そして、それを自分たちの醸したワインに加えることによって、それまでのワインとは全く異質のすばらしい酒を得たのである。13世紀には、シェリーはすでにイギリスにまで輸出されており、イギリス王室や貴族たちの強い支持を得ている。その後、スペインの隣国、ポルトガルにも伝わり、やはりワインにブランデーを加えたポート・ワインが広まることになる。
14世紀に入ると、生石灰を混ぜて蒸留し、かなり純粋なアルコールを造ることに成功している。度数の高い強いアルコールの主たる使用目的は医薬用であったが、そのうち飲料にも流れ始める。この「燃える水」は、はじめはわずかの量であったが、飲料として大量の需要を生んだのは、当時ヨーロッパ全域に発生した黒死病、すなわちペストの大流行とともに、濃いアルコールを飲んでいる人は決してペストで死ぬことはないと言う噂がまことしやかに流布し、濃いアルコールは瞬く間に生産が間に合わないほどになった。そのため、アルコールそのもの、または、アルコール度数の高い酒は「生命の水」と呼ばれたのであった。
とのこと。錬金術!
なかなか凄い話だな〜。
アルコールに禁忌のないキリスト教圏に伝わらなかったら、蒸留酒はこんなに発達しなかったかもしれない。
素晴らしいビバ、錬金術!
しかし、面白いね〜。実験だもん。
と高尚な(?)話で煙に巻き、日々飲む言い訳とするワタクシであった。
だって、生命の水じゃん(笑)。飲まなきゃだめじゃん、なんちて(笑)。
コメントをみる |

みんな同じことをするのね(笑)
2005年4月24日 読書
ISBN:4872339363 単行本(ソフトカバー) よしなが ふみ 太田出版 2005/04/16 ¥924
心の友Yちゃん(最近会ってなくて寂しいぞ)に、メッセで雑談していたときに教えてもらった本。
よしながふみ「愛がなくても喰ってゆけます。」を購入。
そのときのお勧めセリフが、
・とにかく旨いものが載っているので、GWは旨いものを食べに行きたくなるよ
(ワタクシたちは旨い飯と旨い酒が好き)
・普通にエッセイ漫画として読んでもおもろい
・あんたとI君と同じ約束をしていた
この中で、「あんたとI君と同じ約束をしていた」というところに引っかかり、はてどんな約束だろう、という興味で購入してみた。
その約束とは、よしながふみさんであろう「Yなが」、そして後輩であり同居人(ただの)でありアシスタントの「S原」の二人の約束であった。
「お互い30になっても彼氏・彼女がいなかったら結婚しよう」
で、Yながさん31、S原君29のときに、
「あの約束さ〜、35に延長しない?」
双方同意の下に延期。
これでした。
ワタクシには基本的には肉体のからまない男友達が多数いるのですが、というよりもむしろワタクシ女扱いされず、男同士の付き合いをしているわけです。
その中でも、老後の茶飲友達にサイコーな相手がI君だったわけで。
二人とも、怒りのツボや仕事の取り組み方、普段の行動がそっくりで、よく女I(ワタクシのこと)、男chmusic69(I君のこと)と呼ばれておりました。
そこで、二人で飯を食っているとき(それは寿司屋で一杯やっているときでした)に、かような約束をしたわけです。
そのときには、よもやこの歳になっても結婚していないということは想像もできず(ああ〜、乙女だったわ、あのころ)、軽〜いノリだったわけで(多分、I君もそう)。
しかし、無常にも30近くなったころ、二人とも予定もなければ相手もいないという悲しい状況につき、双方合意の上で延長決定(わはは)。最近では、自動延長されてます・・・(とほほ)。
読んでて懐かしい〜と思ってしまいましたのことよ。
もちろん紹介されているお店や料理は、どれもこれも大変おいしそうで、よしながさんの書く料理ってなぜこんなに旨そうに見えるんだろうと感心しきり。
ストーリーもよいですし、美味しいものが大好きな人にはおすすめのエッセイ漫画です。
心の友Yちゃん(最近会ってなくて寂しいぞ)に、メッセで雑談していたときに教えてもらった本。
よしながふみ「愛がなくても喰ってゆけます。」を購入。
そのときのお勧めセリフが、
・とにかく旨いものが載っているので、GWは旨いものを食べに行きたくなるよ
(ワタクシたちは旨い飯と旨い酒が好き)
・普通にエッセイ漫画として読んでもおもろい
・あんたとI君と同じ約束をしていた
この中で、「あんたとI君と同じ約束をしていた」というところに引っかかり、はてどんな約束だろう、という興味で購入してみた。
その約束とは、よしながふみさんであろう「Yなが」、そして後輩であり同居人(ただの)でありアシスタントの「S原」の二人の約束であった。
「お互い30になっても彼氏・彼女がいなかったら結婚しよう」
で、Yながさん31、S原君29のときに、
「あの約束さ〜、35に延長しない?」
双方同意の下に延期。
これでした。
ワタクシには基本的には肉体のからまない男友達が多数いるのですが、というよりもむしろワタクシ女扱いされず、男同士の付き合いをしているわけです。
その中でも、老後の茶飲友達にサイコーな相手がI君だったわけで。
二人とも、怒りのツボや仕事の取り組み方、普段の行動がそっくりで、よく女I(ワタクシのこと)、男chmusic69(I君のこと)と呼ばれておりました。
そこで、二人で飯を食っているとき(それは寿司屋で一杯やっているときでした)に、かような約束をしたわけです。
そのときには、よもやこの歳になっても結婚していないということは想像もできず(ああ〜、乙女だったわ、あのころ)、軽〜いノリだったわけで(多分、I君もそう)。
しかし、無常にも30近くなったころ、二人とも予定もなければ相手もいないという悲しい状況につき、双方合意の上で延長決定(わはは)。最近では、自動延長されてます・・・(とほほ)。
読んでて懐かしい〜と思ってしまいましたのことよ。
もちろん紹介されているお店や料理は、どれもこれも大変おいしそうで、よしながさんの書く料理ってなぜこんなに旨そうに見えるんだろうと感心しきり。
ストーリーもよいですし、美味しいものが大好きな人にはおすすめのエッセイ漫画です。
コメントをみる |

虚構と現実 日常をエンタメに
2005年2月17日 読書
ISBN:4757721439 コミック 桜 玉吉 エンターブレイン 2005/01/31 ¥882
肉彦君の日記に大好きな桜玉吉氏の新刊が発売されているとの記述を発見し、慌てて本屋に走る。
「御緩漫玉日記 (1)」をゲット。
内容は、基本的には昔からの漫玉日記の延長といえば延長。
ただし、今回は玉吉氏がかつて“エロを書くのは死ぬほど恥ずかしい”と言っていたエロがネタ(といっても奥ゆかしくもあり、隠微でもあり、センチメンタルでもあり、なエロ)。
しかし、何故ワタクシはこの人の話が好きなのであろう。
書いていることといえば、基本的には日常の些細な出来事かつ、狭い世界での人間模様。
普通なら内輪ネタとしか取れないようなネタばかりなのに。
多分、玉吉氏は自分の弱さ(なんたって自分の欝もネタにしてしまったくらいだし)、恥ずかしさ、かっこ悪いところなどを淡々と描いているからなんだろうな。
ワタクシを含め、四六時中カッコよくいられる人間なんていない。
誰にだって、駄目な自分や弱い自分というのを持っているわけで。
それが、淡々と描かれているうえに、安易に解決される様が載っているわけでもない。
日常の出来事でそうそう大団円で解決できる出来事なんてむしろ稀で、いつまでも駄目な自分や弱い自分を引きずって生きていかなければならないことのほうが多い。
それでも日々は過ぎていくわけで。
そうした誰もが持っている日常が彼の漫画からは読み取れるんだよね。
そして、駄目でもしゃーないんだなと、なんとなく思わせてくれる。
無論、表現者であるわけだから彼の描く物語とは、本来の意味では現実そのままではなく、虚構もある。
それが上手くやれてこその日記漫画なんだろうな。
ダウナーであり、エロスを感じさせ、ほっこりした気持ちにもされ、そしてセンチメンタルでもある。
いやー、ホント、日常を描かせたら奇才!かも。
肉彦君の日記に大好きな桜玉吉氏の新刊が発売されているとの記述を発見し、慌てて本屋に走る。
「御緩漫玉日記 (1)」をゲット。
内容は、基本的には昔からの漫玉日記の延長といえば延長。
ただし、今回は玉吉氏がかつて“エロを書くのは死ぬほど恥ずかしい”と言っていたエロがネタ(といっても奥ゆかしくもあり、隠微でもあり、センチメンタルでもあり、なエロ)。
しかし、何故ワタクシはこの人の話が好きなのであろう。
書いていることといえば、基本的には日常の些細な出来事かつ、狭い世界での人間模様。
普通なら内輪ネタとしか取れないようなネタばかりなのに。
多分、玉吉氏は自分の弱さ(なんたって自分の欝もネタにしてしまったくらいだし)、恥ずかしさ、かっこ悪いところなどを淡々と描いているからなんだろうな。
ワタクシを含め、四六時中カッコよくいられる人間なんていない。
誰にだって、駄目な自分や弱い自分というのを持っているわけで。
それが、淡々と描かれているうえに、安易に解決される様が載っているわけでもない。
日常の出来事でそうそう大団円で解決できる出来事なんてむしろ稀で、いつまでも駄目な自分や弱い自分を引きずって生きていかなければならないことのほうが多い。
それでも日々は過ぎていくわけで。
そうした誰もが持っている日常が彼の漫画からは読み取れるんだよね。
そして、駄目でもしゃーないんだなと、なんとなく思わせてくれる。
無論、表現者であるわけだから彼の描く物語とは、本来の意味では現実そのままではなく、虚構もある。
それが上手くやれてこその日記漫画なんだろうな。
ダウナーであり、エロスを感じさせ、ほっこりした気持ちにもされ、そしてセンチメンタルでもある。
いやー、ホント、日常を描かせたら奇才!かも。
コメントをみる |

今年ワタクシを楽しませてくれたモノたち(備忘録)(その1)
2004年12月18日 読書
ISBN:4047914568 単行本 越前 敏弥 角川書店 2003/10/31 ¥1,890
最近はとってもモウロクしてきたので(笑)、しばらくたってみてもああ〜こんな楽しいモノたちがあったのね〜と思い浮かべられるよう、完全個人的に今年、ワタクシを楽しませてくれたモノたちについて羅列してみようかと。
思い出すままなので、順不同。
本
・ダビンチ・コード(上下)(角川書店)
・天使と悪魔(上下)(角川書店)
いずれもダン・ブラウン。
久しくなかった本格歴史ミステリーものを読んだので、非常に楽しかった。
しかも宗教や芸術からみというところが、また興味をそそられた。
どっちかというと私は天使と悪魔のほうが楽しかったかな〜。
これを機に歴史ミステリーがたくさん出るとうれしい。
漫画
・大使閣下の料理人(1〜20巻)(西村 ミツル、かわすみ ひろし)(講談社)
一挙買いしてしまった。
料理を食べてくれる人を思いながら作り、その気持ちごと美味しく食べてもらえることほど、嬉しいことはない。
百万言ついやしてコミュニケーションを取っても、なんか同じ釜の飯を食べたほうが、よっぽど理解しあえるってこともあるし、料理というか食卓を一緒に囲むというのは、重要なコミュニケーションなんだと思う。
この本って、非常に理想主義な話なんだけど、料理(食事)というのはこういうことなんだろうな〜と思わされた。
もうすぐ21巻が発売されます!
最近はとってもモウロクしてきたので(笑)、しばらくたってみてもああ〜こんな楽しいモノたちがあったのね〜と思い浮かべられるよう、完全個人的に今年、ワタクシを楽しませてくれたモノたちについて羅列してみようかと。
思い出すままなので、順不同。
本
・ダビンチ・コード(上下)(角川書店)
・天使と悪魔(上下)(角川書店)
いずれもダン・ブラウン。
久しくなかった本格歴史ミステリーものを読んだので、非常に楽しかった。
しかも宗教や芸術からみというところが、また興味をそそられた。
どっちかというと私は天使と悪魔のほうが楽しかったかな〜。
これを機に歴史ミステリーがたくさん出るとうれしい。
漫画
・大使閣下の料理人(1〜20巻)(西村 ミツル、かわすみ ひろし)(講談社)
一挙買いしてしまった。
料理を食べてくれる人を思いながら作り、その気持ちごと美味しく食べてもらえることほど、嬉しいことはない。
百万言ついやしてコミュニケーションを取っても、なんか同じ釜の飯を食べたほうが、よっぽど理解しあえるってこともあるし、料理というか食卓を一緒に囲むというのは、重要なコミュニケーションなんだと思う。
この本って、非常に理想主義な話なんだけど、料理(食事)というのはこういうことなんだろうな〜と思わされた。
もうすぐ21巻が発売されます!
コメントをみる |

天然さまには、とても、とても、かないましぇーん
2004年10月2日 読書
ISBN:4575297186 単行本 臼倉 若菜 双葉社 2004/07 ¥1,000
最近は本人様をメディアで見かけることがなくなったので、興味が薄れていたのですが、最近購入した「だからあいつは嫌われる。」(臼倉若菜/著)を読んで、久々に笑いの神さまが降りてきた。
臼倉氏とは笑いのツボが一緒。当時ワタクシ、かなり彼の発言をチェックしていて、どうして誰もこの天然さまに表立ってツッコミを入れないんだろうとやきもきしていたのだ。
でも、やっぱりいたのね〜、うれしいわ。
さて、以下の発言がその天然さまが発せられたお言葉の数々。
ワタクシ、彼の顔は結構好みだったのに、こんなに、こんなに天然さまなんて・・・。
当時発言を採集(笑)するたんびに、
「イカスー、もう抱いて〜」
と心の中で笑い死にしていたのだった。
皆様にもおすそ分け。
さて誰だかおわかりになるかしらん。
【ビッグ系発言】
・カートが生きていたら、俺に嫉妬しただろうか。
注:カートとは、ニルヴァーナのカート・コバーンのこと
・ヒーロー不在のこんな時代だから、俺への負担も自然とデカクなる。
・俺を馬鹿にしている奴は、俺の代役できるのか。
・街を歩くと女はみんな俺を見ている。
・虎舞竜なら 13 章かかるところも、俺なら 2 小節だから。
・LIVってカテゴリー出来る音楽じゃないんだよね。J−POPのところに置いてあるとムズムズしてくるよ。レイジのとなりに置いて欲しい。彼等の社会的な意識とLIVの音楽は共通するところがあるしさ。
【自慢系発言】
・ボブ・サップだかナップサックだか知らないけどマジ勝負なら俺の方が強いって・・・・・・幼少時代米軍基地で戦ってたから。
・俺は悪そうな奴とは大体友達なんだぜ。
・オマエらが今付き合ってる女はオレと付き合えないから仕方なくオマエらと付き合ってるんだ。
・海外は恐くない。だって、俺はスタンダードな人間だから。
【もう、なんだかよくわからない系発言】
・童貞って化石以下だよ。
・空気とか存在感とか、その場にある物が重要なんだよね。俺の周りってなんか「空気」がいいんだよ。ようするに「 1 + 1 = 2 」なんだよ。
・生まれて一番最初に発した言葉が「Rock’n’Roll Is Dead」。
・俺に向かって中指立てる奴がいたら「I LOVE YOU」って言い返してやる、俺はそういう奴。
・「明日があるさ」はとんだ茶番。俺には明後日がある。
・千葉のおじゃが池で女の霊を見た。
ああ〜、久々に読んでも笑えるわ〜。
ホントに天然さまにはかなわない・・・・・・
最近は本人様をメディアで見かけることがなくなったので、興味が薄れていたのですが、最近購入した「だからあいつは嫌われる。」(臼倉若菜/著)を読んで、久々に笑いの神さまが降りてきた。
臼倉氏とは笑いのツボが一緒。当時ワタクシ、かなり彼の発言をチェックしていて、どうして誰もこの天然さまに表立ってツッコミを入れないんだろうとやきもきしていたのだ。
でも、やっぱりいたのね〜、うれしいわ。
さて、以下の発言がその天然さまが発せられたお言葉の数々。
ワタクシ、彼の顔は結構好みだったのに、こんなに、こんなに天然さまなんて・・・。
当時発言を採集(笑)するたんびに、
「イカスー、もう抱いて〜」
と心の中で笑い死にしていたのだった。
皆様にもおすそ分け。
さて誰だかおわかりになるかしらん。
【ビッグ系発言】
・カートが生きていたら、俺に嫉妬しただろうか。
注:カートとは、ニルヴァーナのカート・コバーンのこと
・ヒーロー不在のこんな時代だから、俺への負担も自然とデカクなる。
・俺を馬鹿にしている奴は、俺の代役できるのか。
・街を歩くと女はみんな俺を見ている。
・虎舞竜なら 13 章かかるところも、俺なら 2 小節だから。
・LIVってカテゴリー出来る音楽じゃないんだよね。J−POPのところに置いてあるとムズムズしてくるよ。レイジのとなりに置いて欲しい。彼等の社会的な意識とLIVの音楽は共通するところがあるしさ。
【自慢系発言】
・ボブ・サップだかナップサックだか知らないけどマジ勝負なら俺の方が強いって・・・・・・幼少時代米軍基地で戦ってたから。
・俺は悪そうな奴とは大体友達なんだぜ。
・オマエらが今付き合ってる女はオレと付き合えないから仕方なくオマエらと付き合ってるんだ。
・海外は恐くない。だって、俺はスタンダードな人間だから。
【もう、なんだかよくわからない系発言】
・童貞って化石以下だよ。
・空気とか存在感とか、その場にある物が重要なんだよね。俺の周りってなんか「空気」がいいんだよ。ようするに「 1 + 1 = 2 」なんだよ。
・生まれて一番最初に発した言葉が「Rock’n’Roll Is Dead」。
・俺に向かって中指立てる奴がいたら「I LOVE YOU」って言い返してやる、俺はそういう奴。
・「明日があるさ」はとんだ茶番。俺には明後日がある。
・千葉のおじゃが池で女の霊を見た。
ああ〜、久々に読んでも笑えるわ〜。
ホントに天然さまにはかなわない・・・・・・
コメントをみる |

愛すべきお馬鹿ちゃん。ちびれる〜(笑)
2004年6月24日 読書
ISBN:4583038011 単行本 ヴァレンティナ・マルツィアリ ベースボールマガジン社 2004/04 ¥800
上司N氏から、“面白かったからやる”と渡されたのが「トッティ王子のちょっぴし おバカな笑い話」だった。
サッカーは熱狂的なファンではないが、大きな試合(ワールドカップとかオリンピックとか、予選含む)とかは見るって感じ。
そんなワタクシでも、トッティ王子がイタリア代表でセリアAのASローマに所属しているということは知っていた。そして、ちょっぴりお馬鹿ちゃんだとの噂も知っていた。
だから、この本のタイトルを見たとき、とっても、とっても笑えることを期待していた(笑)。
そして帰りの電車の中で読書タイム。
・・・・・・。
すいませーん。
ちびれました(笑)。
この本のキモって、“ローマ弁”(王子は生粋のローマっ子)のニュアンスや駄洒落で笑わせるものだから、イタリア語に関する訳注を参照しないとわからないものも多い。
でも、そうしたハンディを感じさせず素晴らしい訳注でこの笑いを伝えた、沖山ナオミ・いとうやまね、そしてネイティブのヴァレンティナ・マルツィアリの仕事が素晴らしい。
そして自らを馬鹿にしたネタの本を出すのを許可した、太っ腹な男、王子に拍手だ。
さらにこの本をユニセフ親善大使の仕事の第一号にしてしまったというのもちびれる〜。
印税の50%はユニセフに、残り50%は老人福祉事業に寄付されるという。
自分のジョーク集で笑ってもらって楽しんで、しかもチャリティにしてしまうという考え方は、ウィットに富んでいて、男をあげたな!という感じだ。
おちょくられる対象から、それを客観視できる懐の深さをみせることによって、一気に尊敬される対象へと株をあげたのだから。
上司N氏から、“面白かったからやる”と渡されたのが「トッティ王子のちょっぴし おバカな笑い話」だった。
サッカーは熱狂的なファンではないが、大きな試合(ワールドカップとかオリンピックとか、予選含む)とかは見るって感じ。
そんなワタクシでも、トッティ王子がイタリア代表でセリアAのASローマに所属しているということは知っていた。そして、ちょっぴりお馬鹿ちゃんだとの噂も知っていた。
だから、この本のタイトルを見たとき、とっても、とっても笑えることを期待していた(笑)。
そして帰りの電車の中で読書タイム。
・・・・・・。
すいませーん。
ちびれました(笑)。
この本のキモって、“ローマ弁”(王子は生粋のローマっ子)のニュアンスや駄洒落で笑わせるものだから、イタリア語に関する訳注を参照しないとわからないものも多い。
でも、そうしたハンディを感じさせず素晴らしい訳注でこの笑いを伝えた、沖山ナオミ・いとうやまね、そしてネイティブのヴァレンティナ・マルツィアリの仕事が素晴らしい。
そして自らを馬鹿にしたネタの本を出すのを許可した、太っ腹な男、王子に拍手だ。
さらにこの本をユニセフ親善大使の仕事の第一号にしてしまったというのもちびれる〜。
印税の50%はユニセフに、残り50%は老人福祉事業に寄付されるという。
自分のジョーク集で笑ってもらって楽しんで、しかもチャリティにしてしまうという考え方は、ウィットに富んでいて、男をあげたな!という感じだ。
おちょくられる対象から、それを客観視できる懐の深さをみせることによって、一気に尊敬される対象へと株をあげたのだから。
コメントをみる |

国を捨てなければならないとき
2004年5月23日 読書
ISBN:4004203597 新書 後藤 政子 岩波書店 1986/12 ¥777
「予告された殺人の記録」で有名なG.ガルシア=マルケスの「戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険」を読んだ。
この本は、ピノチェト軍事政権誕生の機に亡命し、入国禁止リストに入っている(ようするに帰ってきたら捕まってしまう)映画監督ミゲル・リティンが、1985年はじめに、秘密裏に母国に潜入し、六週間にわたって軍政12年目のチリの現状を7000メートル以上のフィルムに収めた体験を、G.ガルシア=マルケスがリティン監督にインタビューし、それを独白調のルポとして再構成したもの。
簡潔かつ緊張感が漂う描写、魅力あふれるリティン氏の姿が生き生きと書かれていて、とても面白く読み進めることができた。
ちなみに、なんともいやな偶然なんだろうけど2001年9月11日の同時多発テロと、ピノチェトがクーデターを起こしたのは28年前の同じ日(1973年9月11日)ということ。
チリの人々は、あの崩れていくWTCを、空爆される大統領官邸として使われていたモネーダ宮殿の姿にかさねあわせたのではないだろうか。
チリの人々にとっても9/11は、行方不明になった家族・友人、命を落とした人々を追悼する日なんだそうだ。
自分の国から進んでではなく、やむを得ず亡命しなければならないというのは、辛いことだろう。
リティン氏は、チリに入国するために自分を別人に仕立てなければならなかった。入国には成功したものの、彼にとってそれは本当の“帰国”ではなかった。
「私は懐かしい人びとから顔をそらし、自分の国にありながら亡命しているというおかしな状況を受け入れざるを得なかった。もっともつらい亡命形態であった」
まあ、彼は滞在が進むにつれ、自分自身を取り戻そうという危険を冒すわけだが、わかるよな〜。
自分の国にいて、でも自分ではいられない。懐かしくてたまらない友人や祖国に対して、自分は傍観者でいなくてはならない。そんなの耐えられないものね。
だんだんと警察にマークされるようになり、脱出のために旅客機に乗り込む彼と彼の協力者。しばらく飛行していたのに、突如、チケット提示を乗客全員が求められる。
緊張感に耐え切れなくなりそうな彼だったが、あっさりと確認は終わる。
飛行機にひとり密航者がいたようだったのだ。
彼は笑いながら乾杯する。「ひとりじゃない!ふたりだ!」
カタルシスだよね〜。このセリフで終わらせるところが、作者の力量を感じさせる。
面白かったです。
撮影されたフィルムは、「ACTA GENERAL DE CHILE」(戒厳令下チリ潜入記)というタイトルのドキュメンタリー映画として上映されました(見たいな〜)。
この後ピノチェトは選挙で敗北し、チリは軍政から民政に移管を達成する。
---------------------------------------------------------
<チリの略史>
1818年 事実上の独立
1970年 アジェンデ社会主義政権誕生
1973年 クーデターによりピノチェト軍事政権誕生
1980年 新憲法草案に対する国民投票の実施
1981年 新憲法発効
1988年 ピノチェット大統領信任投票
1989年 大統領選挙、国会議員選挙
1990年 エイルウィン政権成立
1994年 フレイ政権成立
2000年 ラゴス政権成立
73年に発足したピノチェット軍事政権は、1988年10月の国民信任投票で敗北。89年末の選挙で反軍事政権諸党連合を母体にエイルウィン大統領が選出され民政移管が達成。以後フレイ大統領、ラゴス大統領と、3期連続して中道左派連合政権が継続。
2000年に発足したラゴス政権は、市場重視の経済政策、開かれた地域主義の外交等従来の基本政策を継続。当面の課題は高失業率(約9%)の解決、中期的には社会格差の是正、インフラ整備、軍政時代の負の遺産の処理(憲法改正等)。
全般に政治体制は安定。98年10月のピノテュット元大統領の英国での逮捕事件を契機に国内の左右両勢力の対立が一時顕在化。2000年3月の同氏の釈放・帰国により、チリでの裁判が開始されたが、同人の健康上の理由により、2002年7月、最終的に裁判は停止された。同月、ピノテュット元大統領は、終身上院議員を辞任し、政界から引退した。こうした動きを受け、また、軍事クーデター発生から30年が経過した2003年には、軍が過去への反省と政治への非介入の姿勢を明確にしたこともあり、国民和解の進展が見られる。
-----------------------------------------------------------
「予告された殺人の記録」で有名なG.ガルシア=マルケスの「戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険」を読んだ。
この本は、ピノチェト軍事政権誕生の機に亡命し、入国禁止リストに入っている(ようするに帰ってきたら捕まってしまう)映画監督ミゲル・リティンが、1985年はじめに、秘密裏に母国に潜入し、六週間にわたって軍政12年目のチリの現状を7000メートル以上のフィルムに収めた体験を、G.ガルシア=マルケスがリティン監督にインタビューし、それを独白調のルポとして再構成したもの。
簡潔かつ緊張感が漂う描写、魅力あふれるリティン氏の姿が生き生きと書かれていて、とても面白く読み進めることができた。
ちなみに、なんともいやな偶然なんだろうけど2001年9月11日の同時多発テロと、ピノチェトがクーデターを起こしたのは28年前の同じ日(1973年9月11日)ということ。
チリの人々は、あの崩れていくWTCを、空爆される大統領官邸として使われていたモネーダ宮殿の姿にかさねあわせたのではないだろうか。
チリの人々にとっても9/11は、行方不明になった家族・友人、命を落とした人々を追悼する日なんだそうだ。
自分の国から進んでではなく、やむを得ず亡命しなければならないというのは、辛いことだろう。
リティン氏は、チリに入国するために自分を別人に仕立てなければならなかった。入国には成功したものの、彼にとってそれは本当の“帰国”ではなかった。
「私は懐かしい人びとから顔をそらし、自分の国にありながら亡命しているというおかしな状況を受け入れざるを得なかった。もっともつらい亡命形態であった」
まあ、彼は滞在が進むにつれ、自分自身を取り戻そうという危険を冒すわけだが、わかるよな〜。
自分の国にいて、でも自分ではいられない。懐かしくてたまらない友人や祖国に対して、自分は傍観者でいなくてはならない。そんなの耐えられないものね。
だんだんと警察にマークされるようになり、脱出のために旅客機に乗り込む彼と彼の協力者。しばらく飛行していたのに、突如、チケット提示を乗客全員が求められる。
緊張感に耐え切れなくなりそうな彼だったが、あっさりと確認は終わる。
飛行機にひとり密航者がいたようだったのだ。
彼は笑いながら乾杯する。「ひとりじゃない!ふたりだ!」
カタルシスだよね〜。このセリフで終わらせるところが、作者の力量を感じさせる。
面白かったです。
撮影されたフィルムは、「ACTA GENERAL DE CHILE」(戒厳令下チリ潜入記)というタイトルのドキュメンタリー映画として上映されました(見たいな〜)。
この後ピノチェトは選挙で敗北し、チリは軍政から民政に移管を達成する。
---------------------------------------------------------
<チリの略史>
1818年 事実上の独立
1970年 アジェンデ社会主義政権誕生
1973年 クーデターによりピノチェト軍事政権誕生
1980年 新憲法草案に対する国民投票の実施
1981年 新憲法発効
1988年 ピノチェット大統領信任投票
1989年 大統領選挙、国会議員選挙
1990年 エイルウィン政権成立
1994年 フレイ政権成立
2000年 ラゴス政権成立
73年に発足したピノチェット軍事政権は、1988年10月の国民信任投票で敗北。89年末の選挙で反軍事政権諸党連合を母体にエイルウィン大統領が選出され民政移管が達成。以後フレイ大統領、ラゴス大統領と、3期連続して中道左派連合政権が継続。
2000年に発足したラゴス政権は、市場重視の経済政策、開かれた地域主義の外交等従来の基本政策を継続。当面の課題は高失業率(約9%)の解決、中期的には社会格差の是正、インフラ整備、軍政時代の負の遺産の処理(憲法改正等)。
全般に政治体制は安定。98年10月のピノテュット元大統領の英国での逮捕事件を契機に国内の左右両勢力の対立が一時顕在化。2000年3月の同氏の釈放・帰国により、チリでの裁判が開始されたが、同人の健康上の理由により、2002年7月、最終的に裁判は停止された。同月、ピノテュット元大統領は、終身上院議員を辞任し、政界から引退した。こうした動きを受け、また、軍事クーデター発生から30年が経過した2003年には、軍が過去への反省と政治への非介入の姿勢を明確にしたこともあり、国民和解の進展が見られる。
-----------------------------------------------------------
コメントをみる |

名前を奪われるということ
2004年5月17日 読書
ISBN:4091852785 コミック 浦沢 直樹 小学館 2002/02/28 ¥580
今さらながらに「MONSTER」を一挙買いして、一挙に読みました。
うーん、凄い話でした。
なんともいえない読後感。
以下はMONSTERを読んで思ったことの1つ(おいおい、そのほかに思ったことを書いていこうかと思います。この物語は本当にいろいろと考えさせられました)。
この物語は“名前”がキーワードになっているわけで。
名前を奪われたものは、どこの国に所属するでもなく、どこの誰でもなくなりそして感情すらなくなっていく。
古代の歴史の中には名前を大変神聖視していた民族もあり、本当の名前は決して知られないよう通称を使っていた、ということもあったようだ。
近しいもの以外に本当の名前を知られると、支配されてしまうというように思われていたらしい。
ちょっと違うけれど、MONSTERに登場してくる名前を奪われたものたちも、名前を奪ったもの=本当の名前を知ったもの(ボナパルタや彼の協力者、実践者たち)に支配されてしまう(彼らの目指すものになってしまう)。
“名前”というのは、その名を持つ人間のアイデンティティの根幹だとワタクシは思います。
名前なんてたいしたことないじゃん、という方もいるかと思いますが、ワタクシは名前が付けられてこそ、“個”という認識ができるのではないかと思います。
そう考えると、名前がないということは、どんな人にもなれるけれど、唯一の自分という存在にはなれない。
こりゃ、まさにアイデンティティの欠如となってしまうわけで。
そうした名前を奪われた人々の悲劇が大きなモチーフとなって物語が進んでいくのだ。
もし、ワタクシが名前を奪われたら(これはワタクシ自身が名前を無理やり忘れさせられる、ワタクシの名前を知っている人がこの世からひとりもいなくなるなど)なったら、絶望的な孤独を感じることだろう。
本当に恐ろしいことだ。
浦沢直樹という人は凄い人だ。
今さらながらに「MONSTER」を一挙買いして、一挙に読みました。
うーん、凄い話でした。
なんともいえない読後感。
以下はMONSTERを読んで思ったことの1つ(おいおい、そのほかに思ったことを書いていこうかと思います。この物語は本当にいろいろと考えさせられました)。
この物語は“名前”がキーワードになっているわけで。
名前を奪われたものは、どこの国に所属するでもなく、どこの誰でもなくなりそして感情すらなくなっていく。
古代の歴史の中には名前を大変神聖視していた民族もあり、本当の名前は決して知られないよう通称を使っていた、ということもあったようだ。
近しいもの以外に本当の名前を知られると、支配されてしまうというように思われていたらしい。
ちょっと違うけれど、MONSTERに登場してくる名前を奪われたものたちも、名前を奪ったもの=本当の名前を知ったもの(ボナパルタや彼の協力者、実践者たち)に支配されてしまう(彼らの目指すものになってしまう)。
“名前”というのは、その名を持つ人間のアイデンティティの根幹だとワタクシは思います。
名前なんてたいしたことないじゃん、という方もいるかと思いますが、ワタクシは名前が付けられてこそ、“個”という認識ができるのではないかと思います。
そう考えると、名前がないということは、どんな人にもなれるけれど、唯一の自分という存在にはなれない。
こりゃ、まさにアイデンティティの欠如となってしまうわけで。
そうした名前を奪われた人々の悲劇が大きなモチーフとなって物語が進んでいくのだ。
もし、ワタクシが名前を奪われたら(これはワタクシ自身が名前を無理やり忘れさせられる、ワタクシの名前を知っている人がこの世からひとりもいなくなるなど)なったら、絶望的な孤独を感じることだろう。
本当に恐ろしいことだ。
浦沢直樹という人は凄い人だ。
コメントをみる |

劇的空間!それは裁判所で繰り広げられるのだ
2004年5月8日 読書
ISBN:4990073037 単行本 北尾 トロ 鉄人社 2003/11 ¥1,365
北尾トロ氏の「裁判長!ここは懲役4年でどうすか 100の空論より一度のナマ傍聴」を読んだ。
この本は北尾氏が裁判所に通って見た裁判に対するエッセイなわけだけど、この本ではじめて傍聴マニアなる人々がいることを知った。
すごいよね〜“傍聴マニア”だよ。
北尾氏ははじめは面白い(ちょっと不謹慎?)裁判に行き当たる確率が低かったようだが、この傍聴マニアの人々と知り合うことによって、裁判の奥深さにどんどんハマっていく。
このマニアさんたちのすごいところは、ある人は裁判長、被告、事件などの詳細をデータ化している、データ魔の人や、今の興味は裁判所関連の人事(爆笑)だというマニアさんや、一回傍聴した裁判は結審まですべて見るというマニアさんなど、その熱心さだ。
マニア諸氏にいわせると、裁判長の判決も大方予想がつくという。
さらに含蓄のあるマニアさんの言葉も紹介されている。
「こういう事件を傍聴して家に帰ると、女房がテレビドラマなんかみてるじゃない。もう、バカじゃないかとね」
架空のドラマなんかよりも、すごい事件が現実で起こっているのである。
そうした架空のドラマにはない緊張感にハマる人が多いんだろうな。
これから陪審員制が導入されるかもしれないし、一度は裁判を傍聴してみてもいいかもしれない。
気軽に・・・というわけにはいかないが、裁判を傍聴してみるのもいいかもしれないと思わせる本だった。
北尾氏が何度も書いていたことだが、
“被告の席にいるのは、もしかしたら自分だったかもしれないのだ”
というように、被告になっている人は極々普通の人がある日を境に犯罪者になってしまうことは多々あるということを思い知らされる。
そして裁判では、プライベートなことなどが証拠として発表されてしまう。
悪という誘惑に負けそうなあなた、裁判を傍聴してみては?きっとそこ(被告席)に立つのなんて真っ平ごめんって思うかもしれませんよ。
北尾トロ氏の「裁判長!ここは懲役4年でどうすか 100の空論より一度のナマ傍聴」を読んだ。
この本は北尾氏が裁判所に通って見た裁判に対するエッセイなわけだけど、この本ではじめて傍聴マニアなる人々がいることを知った。
すごいよね〜“傍聴マニア”だよ。
北尾氏ははじめは面白い(ちょっと不謹慎?)裁判に行き当たる確率が低かったようだが、この傍聴マニアの人々と知り合うことによって、裁判の奥深さにどんどんハマっていく。
このマニアさんたちのすごいところは、ある人は裁判長、被告、事件などの詳細をデータ化している、データ魔の人や、今の興味は裁判所関連の人事(爆笑)だというマニアさんや、一回傍聴した裁判は結審まですべて見るというマニアさんなど、その熱心さだ。
マニア諸氏にいわせると、裁判長の判決も大方予想がつくという。
さらに含蓄のあるマニアさんの言葉も紹介されている。
「こういう事件を傍聴して家に帰ると、女房がテレビドラマなんかみてるじゃない。もう、バカじゃないかとね」
架空のドラマなんかよりも、すごい事件が現実で起こっているのである。
そうした架空のドラマにはない緊張感にハマる人が多いんだろうな。
これから陪審員制が導入されるかもしれないし、一度は裁判を傍聴してみてもいいかもしれない。
気軽に・・・というわけにはいかないが、裁判を傍聴してみるのもいいかもしれないと思わせる本だった。
北尾氏が何度も書いていたことだが、
“被告の席にいるのは、もしかしたら自分だったかもしれないのだ”
というように、被告になっている人は極々普通の人がある日を境に犯罪者になってしまうことは多々あるということを思い知らされる。
そして裁判では、プライベートなことなどが証拠として発表されてしまう。
悪という誘惑に負けそうなあなた、裁判を傍聴してみては?きっとそこ(被告席)に立つのなんて真っ平ごめんって思うかもしれませんよ。
コメントをみる |

やっと読みましたです。すんませんでした〜(汗;
2004年5月5日 読書
ISBN:4915512371 単行本 松岡 佑子 静山社 1999/12 ¥1,995
かれこれ、1年半以上上司N氏から借りていた「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み終えた。というかずっと読んでいなかったのを一挙に読んだだけなんだけど。
すまぬ〜、上司。購入者のあなたも読んでいない本をずっとぶんどったまま、うちのオカンが先にあっという間に読んでいたのを、なんだか気が乗らないというたわけた理由だけで読んでおりませんでした。
ひらに、ひらにお許しを〜。
馬鹿売れというだけで、微妙に敬遠というか、あまのじゃくな気分がずっと蔓延していて、読めませんでした。
しかし、さすがに1年半という年月は申し訳ない(というかあまりにも無体)という理由で、昨晩一挙に読まさせていただきました。
感想。面白かったです。早く第二巻〜第四巻も買ってください→上司へ。
脇役の登場人物まで魅力があふれていて、彼らが主役のサイド・ストーリーもできてしまうんじゃないかと思うくらい。
子どものころ、魔法を使えたらな〜、空を飛べたらな〜、なんて思っていたことを思い出した。
プロットなんかは、よくある昔からのネタなんだけど、それを一挙に読ませる魅力があった。きっと何気なく登場してくる、小物なんかがウィットに富んでいるからなんだろう。
しかし、映画版でハリーを演じるダニエル・ラドクリフくん。今夏に公開予定のシリーズ3作目の予告編とか見ると、あまりにかっちょよくなっていて、ちょっとくらくらした(笑)。
かれこれ、1年半以上上司N氏から借りていた「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み終えた。というかずっと読んでいなかったのを一挙に読んだだけなんだけど。
すまぬ〜、上司。購入者のあなたも読んでいない本をずっとぶんどったまま、うちのオカンが先にあっという間に読んでいたのを、なんだか気が乗らないというたわけた理由だけで読んでおりませんでした。
ひらに、ひらにお許しを〜。
馬鹿売れというだけで、微妙に敬遠というか、あまのじゃくな気分がずっと蔓延していて、読めませんでした。
しかし、さすがに1年半という年月は申し訳ない(というかあまりにも無体)という理由で、昨晩一挙に読まさせていただきました。
感想。面白かったです。早く第二巻〜第四巻も買ってください→上司へ。
脇役の登場人物まで魅力があふれていて、彼らが主役のサイド・ストーリーもできてしまうんじゃないかと思うくらい。
子どものころ、魔法を使えたらな〜、空を飛べたらな〜、なんて思っていたことを思い出した。
プロットなんかは、よくある昔からのネタなんだけど、それを一挙に読ませる魅力があった。きっと何気なく登場してくる、小物なんかがウィットに富んでいるからなんだろう。
しかし、映画版でハリーを演じるダニエル・ラドクリフくん。今夏に公開予定のシリーズ3作目の予告編とか見ると、あまりにかっちょよくなっていて、ちょっとくらくらした(笑)。
ISBN:487233759X 単行本 伊藤 英嗣 太田出版 2003/08/25 ¥1,995
「クリエイション・レコーズ物語」読み終えました。
この本は、マッギーを中心としたクリエイション関係者のインタビュー本なのですが、マッギーってホントに他の関係者に愛されていたんだな〜というのが、インタビューを読んで思ったこと。
クリエイションって、マッギーの自分達がよいと思った音楽をリリースする、という信念と彼のキャラクターに惚れ込んだ人々のケミストリーが生んだ奇跡だったんだな〜。
ホント、インディー・レーベルって、レーベル主宰者のカラーと個性的なアーティスト、そして献身的なスタッフの融合が生む奇跡なんだよね〜。
しかし、この本を読んでも「24アワー・パーティ・ピープル」を読んでも、インディーの存在意義って難しいな、と。
メジャーでは見逃されがち(または契約に至らない)な良質なアーティストの音楽をリリースしていくこと、何らかのポリシーを持ってリリースするとか、メジャーにはできないフットワークの軽さがインディーの売りなわけだが、いったん所属アーティストがビッグになってしまうと、悲しいかなレーベルは崩壊してしまう(クリエイションのオアシスしかり)。
マンパワーの不足、供給の問題などなど、インディーの規模では手に負えなくなっちゃうんだろうな。
まあ、日本のインディーに関してはまったく門外漢なんでわからないんですが、海外のインディーってまだレーベルのカラーを残しつつがんばっているところが多いので、応援したいもんです。
しかし、マッギー、トニー・ウィルソンを嫌いなのはわかるけど(トニーはアーティストじゃないしね)、なぜ故ロブ・グレットンも嫌いなんだろう。
ロブって、ROBS RECORDでファクトリー倒産の際にレーベルを失ってしまったアーティストや、メジャーから切られてしまったSub Sub(現Doves)と契約したり、新人アーティストを発掘したりと、ワタクシ的には音楽を愛するいいおっちゃんって感じなんだけどな〜。
殴り合いの喧嘩でもしたか、そして負けたか、ロブに(笑)(ロブの喧嘩っぱやさは有名だもんね〜。結構強かったらしいし)。
「クリエイション・レコーズ物語」読み終えました。
この本は、マッギーを中心としたクリエイション関係者のインタビュー本なのですが、マッギーってホントに他の関係者に愛されていたんだな〜というのが、インタビューを読んで思ったこと。
クリエイションって、マッギーの自分達がよいと思った音楽をリリースする、という信念と彼のキャラクターに惚れ込んだ人々のケミストリーが生んだ奇跡だったんだな〜。
ホント、インディー・レーベルって、レーベル主宰者のカラーと個性的なアーティスト、そして献身的なスタッフの融合が生む奇跡なんだよね〜。
しかし、この本を読んでも「24アワー・パーティ・ピープル」を読んでも、インディーの存在意義って難しいな、と。
メジャーでは見逃されがち(または契約に至らない)な良質なアーティストの音楽をリリースしていくこと、何らかのポリシーを持ってリリースするとか、メジャーにはできないフットワークの軽さがインディーの売りなわけだが、いったん所属アーティストがビッグになってしまうと、悲しいかなレーベルは崩壊してしまう(クリエイションのオアシスしかり)。
マンパワーの不足、供給の問題などなど、インディーの規模では手に負えなくなっちゃうんだろうな。
まあ、日本のインディーに関してはまったく門外漢なんでわからないんですが、海外のインディーってまだレーベルのカラーを残しつつがんばっているところが多いので、応援したいもんです。
しかし、マッギー、トニー・ウィルソンを嫌いなのはわかるけど(トニーはアーティストじゃないしね)、なぜ故ロブ・グレットンも嫌いなんだろう。
ロブって、ROBS RECORDでファクトリー倒産の際にレーベルを失ってしまったアーティストや、メジャーから切られてしまったSub Sub(現Doves)と契約したり、新人アーティストを発掘したりと、ワタクシ的には音楽を愛するいいおっちゃんって感じなんだけどな〜。
殴り合いの喧嘩でもしたか、そして負けたか、ロブに(笑)(ロブの喧嘩っぱやさは有名だもんね〜。結構強かったらしいし)。
コメントをみる |

トニー、アラン、あんたたちはホント愛すべきバカっちょだ!
2004年4月25日 読書
ISBN:4789720063 単行本 江口 研一 ソニーマガジンズ 2003/02 ¥1,890
今、「クリエイション・レコーズ物語」を読んでいるので、マッギーとトニー・ウィルソンって似ているよな〜としばしば思う。
どちらもお金儲けというよりも、クールな音楽を世に出したいという、音楽を愛する心意気だけのDIY精神でレーベルをはじめたっていう点も似ているし、個性的だけど求心力があり、適度に羽目をはずし、ときにかんしゃくを起こす、とっても愛すべきバカなところも似ているよな〜(トニーはクールな音楽を出す=クールな人と思われたいだったんだろうけど)。
しかし、この二人のおっさんたちの嗅覚はすごいっすね。ホント。
Factory=Joy Division、New Order、A CERTAIN RATIO、HAPPY MONDAYS、DURITTI COLUMN、Section25、JAMESなどなど綺羅星のごとく。
CREATION=The Jesus & Mery Chain、Primal Scream、The House Of Love、Ride、My Bloody Valentine、Teenage Funclub、Oasis、THE JASMINE MINKSなどなど。
でも同じような理由、放漫経営(アーティストと正式な契約を結んでいない、マーケティング度外視、アーティストと良好な関係すぎてリリースタイミングがアーティスト主導)などでレーベルは頓挫してしまう。
ううう、もったいない。
でも、どちらもあの時代に必然的に生まれた美しくも毒々しい徒花のような存在だ。
美しくて、そして衝撃的でクールな音楽を届けてくれて本当にありがとうといいたい。
「クリエイション・レコーズ物語」も全部読み終えたらまた、感想なぞ書きたいと思います。
今、「クリエイション・レコーズ物語」を読んでいるので、マッギーとトニー・ウィルソンって似ているよな〜としばしば思う。
どちらもお金儲けというよりも、クールな音楽を世に出したいという、音楽を愛する心意気だけのDIY精神でレーベルをはじめたっていう点も似ているし、個性的だけど求心力があり、適度に羽目をはずし、ときにかんしゃくを起こす、とっても愛すべきバカなところも似ているよな〜(トニーはクールな音楽を出す=クールな人と思われたいだったんだろうけど)。
しかし、この二人のおっさんたちの嗅覚はすごいっすね。ホント。
Factory=Joy Division、New Order、A CERTAIN RATIO、HAPPY MONDAYS、DURITTI COLUMN、Section25、JAMESなどなど綺羅星のごとく。
CREATION=The Jesus & Mery Chain、Primal Scream、The House Of Love、Ride、My Bloody Valentine、Teenage Funclub、Oasis、THE JASMINE MINKSなどなど。
でも同じような理由、放漫経営(アーティストと正式な契約を結んでいない、マーケティング度外視、アーティストと良好な関係すぎてリリースタイミングがアーティスト主導)などでレーベルは頓挫してしまう。
ううう、もったいない。
でも、どちらもあの時代に必然的に生まれた美しくも毒々しい徒花のような存在だ。
美しくて、そして衝撃的でクールな音楽を届けてくれて本当にありがとうといいたい。
「クリエイション・レコーズ物語」も全部読み終えたらまた、感想なぞ書きたいと思います。
ううう、上手くまとまりません(泣)
2004年4月17日 読書
ISBN:4166603647 新書 大澤 武男 文藝春秋 2004/02/22 ¥714
上手く言葉にできないし、とてもデリケートな問題で不用意な言葉でこの駄文を読んでいる人に不愉快な思いをさせてしまうかもしれないけれど、敢えて書こうかと。
「ローマ教皇とナチス」大澤武男著を読んだ。
本著では、第二次世界大戦時のローマ教皇ピウス十二世がナチスに対してなぜ沈黙を守ったのか、ということに関して、大変平易な文章で紹介してくれる。
ユダヤ人の大虐殺という、人類稀に見る残虐な行為を行ったヒトラー、ナチス。
ヴァチカンは世界中に教会を通して緊密な情報網を持つと言われている。
多分、ナチスの非道もいち早く正確な情報を得ていたに違いない、しかし、教皇はナチスを名指しに弾劾することなく、迫害されているユダヤ人を名指しに擁護する発言をしなかった。
これに対する背景を本書では紹介してくれているのだ(ただし推測の域もあるし、ヴァチカン自体、第二次世界大戦時の書類等の詳細を公開していないのだ)。
もちろん神の使い手の頂点に立つ人でも、個々の思いと組織としての表向きの態度には開きがあるだろうし、立場も理解できる。
教皇が恐れていたのは、宗教を弾圧する共産主義がヨーロッパにはびこることであった。
さらに、キリストを磔にしたユダヤ人というキリスト教の根本的な反ユダヤ的伝統もあったのだろう。
ナチスに対する沈黙の理由は、ドイツがソビエトから流れてくる共産主義という思想をとどめる防波堤と考えていたとのことだ。
さらに教皇個人が青年期のとても充実した時期をドイツで過ごしたという背景も大きな要因だ、ということも紹介されている。
政治的権力も軍事力も持たず、ただ宗教的権威の上にのみ立っていた教皇。
なにが出来ただろうか?という問いに関しては、今となってはむなしく響くだけだが、教皇がもっと強く非難、遺憾の意を積極的に発言していればあれだけ多くのユダヤ人が死なずにすんでいたのではないか、と個人的には本書を読んで思ったこと。
高潔なそして敬虔な宗教人であったピウス十二世の苦悩は大きなものであっただろう、そして、宗教とはなんぞや?という思いが本書を読んだワタクシの感想なのだ。
ワタクシは基本的には、信仰としての「宗教」にはまったく関心がない。
ただし、教義を知るということに関しては、関心がある。
多数の人々が信仰している理由は何か?どんな背景があり、このような教義になったのか?それを知ることは、ワタクシの好奇心(言葉は悪いですが)を満たしてくれる。
そしてそうした関連の本などを読んでいつも思うのは、“神”とは「裁くもの」なのか?という疑問。
ワタクシが単純に思う“神”とは、万人に対して平等に慈悲深くあるべき存在なのだ。
しかし、どんな宗教でも教えを守らなければ裁かれる、バチがあたるという罰が待ち受けているのだ。
ほかの宗教を信仰している人は、“悪”なのか? 唯一の“神”とはなんなのか?
どの宗教でも他の宗教を信仰している人に対しては、慈悲深くないのがとっても解せないのだ。
もちろん、自分が信仰している宗教が一番良いものだ、ましてや生活の一部となっている宗教がもし唯一の良い教えではないとしたら、それらを信仰している人のアイデンティティにも関わることになるわけだから、単純な問題ではないということも理解できる。
人を殺すなかれ、良心に従え、敬虔であるべき、というそれぞれの宗教の信徒たちが血を流しあってまで他の宗教と争うということが、やっぱり、どうしても、ワタクシには理解できないのだ。
あー、やっぱり支離滅裂になってしまった。
まさしく駄文垂れ流しになってしまって申し訳ない。
結局、こうした疑問というのは明確な答えなどない、ということなのだろう。
上手く言葉にできないし、とてもデリケートな問題で不用意な言葉でこの駄文を読んでいる人に不愉快な思いをさせてしまうかもしれないけれど、敢えて書こうかと。
「ローマ教皇とナチス」大澤武男著を読んだ。
本著では、第二次世界大戦時のローマ教皇ピウス十二世がナチスに対してなぜ沈黙を守ったのか、ということに関して、大変平易な文章で紹介してくれる。
ユダヤ人の大虐殺という、人類稀に見る残虐な行為を行ったヒトラー、ナチス。
ヴァチカンは世界中に教会を通して緊密な情報網を持つと言われている。
多分、ナチスの非道もいち早く正確な情報を得ていたに違いない、しかし、教皇はナチスを名指しに弾劾することなく、迫害されているユダヤ人を名指しに擁護する発言をしなかった。
これに対する背景を本書では紹介してくれているのだ(ただし推測の域もあるし、ヴァチカン自体、第二次世界大戦時の書類等の詳細を公開していないのだ)。
もちろん神の使い手の頂点に立つ人でも、個々の思いと組織としての表向きの態度には開きがあるだろうし、立場も理解できる。
教皇が恐れていたのは、宗教を弾圧する共産主義がヨーロッパにはびこることであった。
さらに、キリストを磔にしたユダヤ人というキリスト教の根本的な反ユダヤ的伝統もあったのだろう。
ナチスに対する沈黙の理由は、ドイツがソビエトから流れてくる共産主義という思想をとどめる防波堤と考えていたとのことだ。
さらに教皇個人が青年期のとても充実した時期をドイツで過ごしたという背景も大きな要因だ、ということも紹介されている。
政治的権力も軍事力も持たず、ただ宗教的権威の上にのみ立っていた教皇。
なにが出来ただろうか?という問いに関しては、今となってはむなしく響くだけだが、教皇がもっと強く非難、遺憾の意を積極的に発言していればあれだけ多くのユダヤ人が死なずにすんでいたのではないか、と個人的には本書を読んで思ったこと。
高潔なそして敬虔な宗教人であったピウス十二世の苦悩は大きなものであっただろう、そして、宗教とはなんぞや?という思いが本書を読んだワタクシの感想なのだ。
ワタクシは基本的には、信仰としての「宗教」にはまったく関心がない。
ただし、教義を知るということに関しては、関心がある。
多数の人々が信仰している理由は何か?どんな背景があり、このような教義になったのか?それを知ることは、ワタクシの好奇心(言葉は悪いですが)を満たしてくれる。
そしてそうした関連の本などを読んでいつも思うのは、“神”とは「裁くもの」なのか?という疑問。
ワタクシが単純に思う“神”とは、万人に対して平等に慈悲深くあるべき存在なのだ。
しかし、どんな宗教でも教えを守らなければ裁かれる、バチがあたるという罰が待ち受けているのだ。
ほかの宗教を信仰している人は、“悪”なのか? 唯一の“神”とはなんなのか?
どの宗教でも他の宗教を信仰している人に対しては、慈悲深くないのがとっても解せないのだ。
もちろん、自分が信仰している宗教が一番良いものだ、ましてや生活の一部となっている宗教がもし唯一の良い教えではないとしたら、それらを信仰している人のアイデンティティにも関わることになるわけだから、単純な問題ではないということも理解できる。
人を殺すなかれ、良心に従え、敬虔であるべき、というそれぞれの宗教の信徒たちが血を流しあってまで他の宗教と争うということが、やっぱり、どうしても、ワタクシには理解できないのだ。
あー、やっぱり支離滅裂になってしまった。
まさしく駄文垂れ流しになってしまって申し訳ない。
結局、こうした疑問というのは明確な答えなどない、ということなのだろう。
コメントをみる |

接客とは? サービスってのは難しいものだ
2004年4月10日 読書
ISBN:4334782760 文庫 「接客主義」松尾 貴史 光文社 2004/03/04 ¥880
松尾貴史(キッチュ)さんの「接客主義」という本を読んだ。
ワタクシの家は自営業なので、子どものころから両親がお客さんに接するところを見ていたので、接客業というのは大変なものよの〜と思う。
たいていはいいお客さんなのだが、たまに“とんでも”なお客さんだっているのだ。
ワタクシの家は婦人物の洋服を売っているのだが、すでに何度か着て洗濯もしているようなものを、サイズが違うから交換してくれとか、一般常識からいっても駄目に決まっとろう!!という理不尽な要求をする。
自分で考えても駄目だとわかりそうなのに、「客」というだけで理不尽なクレームをつけてくる。
そういうお客さんというのは、えてして高飛車だったりする。
「客」というだけでなんでも許されるわけではないということをわかってほしいものだ。
と、本の話に戻って、この本は編集者が見つけてきた、当時の流行のお店を訪問する。
ジャンルはいろいろだ。飲食店・エステ・料理教室・占い・ジム・デパートなどなど。
お店に実際に足を踏み入れサービスを受けた感想を、松尾氏は忌憚のない、そしてウィットをこめた文章で表現されていた。
なんじゃこりゃなサービスに関しても、ユーモラスに「なんじゃこりゃ」と正直に書かれていて、テレビや雑誌の流行のお店はとりあえず絶賛!ではないとことがすんばらしい!!
さらにこの本の皮肉に満ちているところが、
※○○○(お店の名前)は、×年に閉店しました。
と、そのお店の紹介の最後に書かれている注意書き(大爆笑)。
サービスが上等というわけでもない、ただの時流に乗っただけで知名度アップしたお店ばかりが、このような末路をたどるんだ〜(笑)というのが丸わかり。
とりたてて面白い!と笑える本ではないが、淡々とした松尾氏の語り口とユーモアを交えた忌憚のない意見は、一読をお勧めします。
松尾貴史(キッチュ)さんの「接客主義」という本を読んだ。
ワタクシの家は自営業なので、子どものころから両親がお客さんに接するところを見ていたので、接客業というのは大変なものよの〜と思う。
たいていはいいお客さんなのだが、たまに“とんでも”なお客さんだっているのだ。
ワタクシの家は婦人物の洋服を売っているのだが、すでに何度か着て洗濯もしているようなものを、サイズが違うから交換してくれとか、一般常識からいっても駄目に決まっとろう!!という理不尽な要求をする。
自分で考えても駄目だとわかりそうなのに、「客」というだけで理不尽なクレームをつけてくる。
そういうお客さんというのは、えてして高飛車だったりする。
「客」というだけでなんでも許されるわけではないということをわかってほしいものだ。
と、本の話に戻って、この本は編集者が見つけてきた、当時の流行のお店を訪問する。
ジャンルはいろいろだ。飲食店・エステ・料理教室・占い・ジム・デパートなどなど。
お店に実際に足を踏み入れサービスを受けた感想を、松尾氏は忌憚のない、そしてウィットをこめた文章で表現されていた。
なんじゃこりゃなサービスに関しても、ユーモラスに「なんじゃこりゃ」と正直に書かれていて、テレビや雑誌の流行のお店はとりあえず絶賛!ではないとことがすんばらしい!!
さらにこの本の皮肉に満ちているところが、
※○○○(お店の名前)は、×年に閉店しました。
と、そのお店の紹介の最後に書かれている注意書き(大爆笑)。
サービスが上等というわけでもない、ただの時流に乗っただけで知名度アップしたお店ばかりが、このような末路をたどるんだ〜(笑)というのが丸わかり。
とりたてて面白い!と笑える本ではないが、淡々とした松尾氏の語り口とユーモアを交えた忌憚のない意見は、一読をお勧めします。
せつなくて、そしてあたたかい
2004年4月3日 読書
ISBN:462077054X 単行本 「毎日かあさん (カニ母編)」西原 理恵子 毎日新聞社 2004/03 ¥880
本日は、本屋に行ってぷらぷらと新刊を眺める。
西原理恵子著「毎日かあさん〜カニ母編」を購入。
彼女の漫画は昔から大好きで、ほとんどの単行本を持っている。
ただ、最近はちょっとパワーが落ちてきたかなと思うこともあり、今回はどうだろうかと期待しつつページを開く。
あっという間に読破。
率直にいってうれしい。彼女のせつなくて、そしてあたたかい視点が存分にあふれた作品だった。
彼女の作品はとっても辛らつな台詞や、悲惨な場が舞台となっていることも多いが、根底にあるのは「人を見つめるあたたかいまなざし」。
ボロかすな人にも彼女は「しょーがないな〜」といいつつも、見つめるまなざしはあたたかいのだ。人を無視したり、そもそも他人に関心がない風潮な昨今、彼女のように「観察者」でありながら、観察対象に対してあたたかである人は珍しい。
彼女は“人”がとっても好きなんだろうな。
そしてもう1つ凄いな、と思えるところは、ありふれた日常を書いていること。誰もがこんなことあったよな〜、こんな風景見たことあるよな〜と思える日常を、時にテンション高く、時に淡々と彼女は綴る。
読者にとっては、それは思い出の琴線に触れるんだよね。たとえ体験していないことでも、容易に想像でき、それは“楽しくって、悲しくって、せつなくって、あたたかい”ものを想い出させる。
いやー、不覚にも涙でそうになった話もありました。
さすがです。
今後も期待しておりますです。
本日は、本屋に行ってぷらぷらと新刊を眺める。
西原理恵子著「毎日かあさん〜カニ母編」を購入。
彼女の漫画は昔から大好きで、ほとんどの単行本を持っている。
ただ、最近はちょっとパワーが落ちてきたかなと思うこともあり、今回はどうだろうかと期待しつつページを開く。
あっという間に読破。
率直にいってうれしい。彼女のせつなくて、そしてあたたかい視点が存分にあふれた作品だった。
彼女の作品はとっても辛らつな台詞や、悲惨な場が舞台となっていることも多いが、根底にあるのは「人を見つめるあたたかいまなざし」。
ボロかすな人にも彼女は「しょーがないな〜」といいつつも、見つめるまなざしはあたたかいのだ。人を無視したり、そもそも他人に関心がない風潮な昨今、彼女のように「観察者」でありながら、観察対象に対してあたたかである人は珍しい。
彼女は“人”がとっても好きなんだろうな。
そしてもう1つ凄いな、と思えるところは、ありふれた日常を書いていること。誰もがこんなことあったよな〜、こんな風景見たことあるよな〜と思える日常を、時にテンション高く、時に淡々と彼女は綴る。
読者にとっては、それは思い出の琴線に触れるんだよね。たとえ体験していないことでも、容易に想像でき、それは“楽しくって、悲しくって、せつなくって、あたたかい”ものを想い出させる。
いやー、不覚にも涙でそうになった話もありました。
さすがです。
今後も期待しておりますです。
コメントをみる |

秋葉原は萌えているらしい・・・
2004年4月2日 読書
ISBN:4839912602 単行本 藤山 哲人 毎日コミュニケーションズ 2003/11/28 ¥1,770
「萌える聖地アキバ 秋葉原マニアックス」藤原哲人著を読んだ。
最近秋葉原関係の仕事をすることが多く、参考になるかな〜と思ったので。
まあ、今までも仕事での巡回ルート、プライベートでの巡回ルートなるものがあったんだけど(お姉ちゃんとしてはどうよって感じだけど。プライベート巡回ルートがあるところが^^;)。
最近ちょくちょく行ってみるとちょこちょこ変わっているのがわかったこともあり、面白く読ませていただきました。
いわゆるマニアとかおたくと呼ばれている人達は、興味のあるジャンルには湯水のようにお金を使ってくれるありがたい方々だ。
そうした方々のためのショップが増えるのは今の世の中当たり前。
秋葉原の駅前にロリ顔なのに巨乳な女の子ちゃんのでっかい垂れ幕広告がぶらさがっているのも、今の秋葉原の象徴なのだろう。
しかし、秋葉原の面白いところは、そうした萌え〜なグッズを売っているお店もありつつ、硬派な知らん人にはいったい何に使うんだかわからないようなパーツを売っているお店(これらのお店の売り物は、将軍様万歳〜の工作員の方々が持ち帰ってさまざまな便利なお道具になるパーツももちろん売っていたりする)、白物大型家電、AV(オーディオ・ビジュアル)、カーナビ、そしてもちろんパソコンを売っているお店も玉石混合に集まっているところなんだな〜。
秋葉原ってアジアのどこの国だかわからないような無国籍感が漂っている面白い街なのだ。
毎日行く場所ではないけど、たまに行くと何らかのくすっと笑えるグッズや便利なグッズ、はたまたやっすーいでも動くかわかんないぞというスリリングなものが必ずある街なのだ。
「萌える聖地アキバ 秋葉原マニアックス」藤原哲人著を読んだ。
最近秋葉原関係の仕事をすることが多く、参考になるかな〜と思ったので。
まあ、今までも仕事での巡回ルート、プライベートでの巡回ルートなるものがあったんだけど(お姉ちゃんとしてはどうよって感じだけど。プライベート巡回ルートがあるところが^^;)。
最近ちょくちょく行ってみるとちょこちょこ変わっているのがわかったこともあり、面白く読ませていただきました。
いわゆるマニアとかおたくと呼ばれている人達は、興味のあるジャンルには湯水のようにお金を使ってくれるありがたい方々だ。
そうした方々のためのショップが増えるのは今の世の中当たり前。
秋葉原の駅前にロリ顔なのに巨乳な女の子ちゃんのでっかい垂れ幕広告がぶらさがっているのも、今の秋葉原の象徴なのだろう。
しかし、秋葉原の面白いところは、そうした萌え〜なグッズを売っているお店もありつつ、硬派な知らん人にはいったい何に使うんだかわからないようなパーツを売っているお店(これらのお店の売り物は、将軍様万歳〜の工作員の方々が持ち帰ってさまざまな便利なお道具になるパーツももちろん売っていたりする)、白物大型家電、AV(オーディオ・ビジュアル)、カーナビ、そしてもちろんパソコンを売っているお店も玉石混合に集まっているところなんだな〜。
秋葉原ってアジアのどこの国だかわからないような無国籍感が漂っている面白い街なのだ。
毎日行く場所ではないけど、たまに行くと何らかのくすっと笑えるグッズや便利なグッズ、はたまたやっすーいでも動くかわかんないぞというスリリングなものが必ずある街なのだ。
コメントをみる |

伝説歌について研究してたのよ…
2004年2月14日 読書
ISBN:4061313843 文庫 中西 進 講談社 ¥590
職場でふとした拍子に、大学で何を専攻していたかの話題になった。
後輩Mくんは法学部で法律のお勉強。
上司N氏は新聞学科で新聞のお勉強(?)。つーかジャーナリスト学科みたいなもん?
で、chは何してたの?と聞かれたので、
「えー、二人の男に求婚された女性は必ず自殺するっつー研究をしていたの(てへ)」
と答えたところ、もちろん、「はあ〜〜〜?」とのお声が。
そりゃそうだわな。
正確に言うと、ワタクシは万葉集の研究をしていたわけなんだけど、
その中で「物語」の萌芽となった「伝説歌」を研究していたのだ。ちなみに万葉集を専攻している人でも「伝説歌」を専攻するのは珍しいらしい……。
伝説歌を詠んだ人の中でも、「高橋連虫麻呂」(おー、大学卒業以来はじめてこの字を書いたわ…)の歌を研究していました。
万葉集の時代というのは、あるがままの自然を歌ったり、見たもの聞いたものを素直に歌にしていた素朴な時代なんだけど。そうした中で架空の「ものをかたる」ということは、この時代から後の話になるわけ。余談、日本の物語の最初は「竹取物語」と言われている。
「でも、伝説とかいっぱいあったじゃん」
そうなんです。伝説なんて今じゃ、そんなんあるわけねーという荒唐無稽な話が多いんだけど、当時は伝えてきた人たちも本当にあったこととして語っているわけだから、純粋にいう「架空のものをかたっていた」わけではないんだな。
ただし、その伝説から創作したものが「物語」という形になっていったわけだから、伝説歌は物語の萌芽という位置付けなんですよ。
で、私は高橋連虫麻呂の歌の中でも「真間の手児名」「菟原処女」の歌を研究していたと。
いやー、でも万葉集面白いのよ。勉強してよかったわーと思う次第。
このころの風俗とか、日本書紀とか古事記とか読んでみるとホント、面白いのよー。
日本の上代の歴史とかに興味がある方はぜひ、万葉集お勧めします!
職場でふとした拍子に、大学で何を専攻していたかの話題になった。
後輩Mくんは法学部で法律のお勉強。
上司N氏は新聞学科で新聞のお勉強(?)。つーかジャーナリスト学科みたいなもん?
で、chは何してたの?と聞かれたので、
「えー、二人の男に求婚された女性は必ず自殺するっつー研究をしていたの(てへ)」
と答えたところ、もちろん、「はあ〜〜〜?」とのお声が。
そりゃそうだわな。
正確に言うと、ワタクシは万葉集の研究をしていたわけなんだけど、
その中で「物語」の萌芽となった「伝説歌」を研究していたのだ。ちなみに万葉集を専攻している人でも「伝説歌」を専攻するのは珍しいらしい……。
伝説歌を詠んだ人の中でも、「高橋連虫麻呂」(おー、大学卒業以来はじめてこの字を書いたわ…)の歌を研究していました。
万葉集の時代というのは、あるがままの自然を歌ったり、見たもの聞いたものを素直に歌にしていた素朴な時代なんだけど。そうした中で架空の「ものをかたる」ということは、この時代から後の話になるわけ。余談、日本の物語の最初は「竹取物語」と言われている。
「でも、伝説とかいっぱいあったじゃん」
そうなんです。伝説なんて今じゃ、そんなんあるわけねーという荒唐無稽な話が多いんだけど、当時は伝えてきた人たちも本当にあったこととして語っているわけだから、純粋にいう「架空のものをかたっていた」わけではないんだな。
ただし、その伝説から創作したものが「物語」という形になっていったわけだから、伝説歌は物語の萌芽という位置付けなんですよ。
で、私は高橋連虫麻呂の歌の中でも「真間の手児名」「菟原処女」の歌を研究していたと。
いやー、でも万葉集面白いのよ。勉強してよかったわーと思う次第。
このころの風俗とか、日本書紀とか古事記とか読んでみるとホント、面白いのよー。
日本の上代の歴史とかに興味がある方はぜひ、万葉集お勧めします!
コメントをみる |
